| 新聞あのね88号 2005年(平成17年)10月発行 1.厚別北小投票率80%突破 市内で3番目の投票率 第44回衆議院議員選挙 2.仲良しの隣人関係をつくりたい 厚別東町内会連合会々長:上条隆(75)さん 3. 防ぎたい生活意欲の低下 ホームヘルパー達の市民集会 4.幌尻岳七つ沼カール清掃 あのね友の会会員も参加 5.『小学校の思い出』 A 厚別北1−2 佐竹美智子 ★・・・厚別北小投票率80%突破・・・★ 市内で3番目の投票率 第44回衆議院議員選挙 去る9月11日に行われた第44回衆議院選挙、厚別区内のその投票率は平均で73.78%と昨年行われた参議院選挙よりも9.45ポイントも上回り、小泉内閣の命運を懸けた選挙戦に大いに関心が持たれたことを物語っていた。 厚別区の場合、札幌市内平均を4.81ポイントも上回り、10区内でもトップの投票率を占めていた。 また期日前投票や不在者投票も知れ渡っていると見られ、区役所などでの11日以前に投票した人も少なくなかった。 当日は天候に恵まれたこともあり、各投票所とも前回の参議院選挙の投票率を10ポイントも上回る高い投票率となった。 区内21ヶ所の投票所で目立ったのは、投票者6,048人と最も多い厚別北小管内の投票率が80.82%と最高位を占めていたことだ。同小管内の投票率は、市内では平岡公園小、盤渓小に次いで3番目の投票率となり、相変わらずハイレベルでの投票行動を示していた。 厚別区内21投票所の投票率(高率順)
政党別候補者別得票数
☆・・・仲良しの隣人関係をつくりたい ・・・☆ 厚別東町内会連合会々長:上条隆(75)さん 町内会と言えば、自分の町内会の日々の活動から推測して、なんとなくイメージが湧くが、その上部団体である町内会連合会(略して町連)というと、多くの人はピンとこない。いったい町連ってなんだろう、厚別東町連の上条隆さんに伺った。 ![]() 平成8年春に厚別中央町連から独立した厚別東町連。発足以来9年間その会長職に任じてきた佐藤利明さんが昨年秋に病死された。 そこで急きょ、その重職を引き継ぐべく白羽の矢に立たされたのが、会員数228世帯のイトーピア町内会々長である上条さんだ。 「ふつう町連の会長と言うと地元の古くからの名士という感じの人がなってますよね。それが帯広出身のサラリーマン上がりの移住人がなんでそんな重責を担うようになったのか、自分でもよくわかりませんね」と上条さんは語るが、厚別東町連発足時からその総務部長として佐藤会長の補佐役を務め、同町連の実情に精通しきった人でもあるからして、なるべく人がなった、とも言える。 確かに町連会長というと、その地域の実情を古くから把握した大地主さんというイメージが強い。そうした古い方々が町の形成に大きな関わりを持ち、行政との協力体制も強いものがある。 だから町連というものが、区の出先機関でもある連絡所(現在のまちづくりセンター)単位で設立されている。 「確かに区ベースでの仕事が多いですね。それはやむをえないのかなとも思ってます。でも自分としてはやはり、七つの町内会の合意形成の場として、自分たちの住みよい町づくり、そのための町連として活動したいと思ってます」と町連の位置づけをかたる。 厚別東町連は各種の組織団体の交流が活発で横の連携も取れている地域と言われている。それをベースに“健康で明るく充実した福祉の町”をめざしているが「町連と言えども最終的にはやはりお隣りの方々との心の通った仲良い人間関係の町づくり、これでしょうね」と、良好な隣人関係の構築を町連のメインにしたいと。 ☆・・・防ぎたい生活意欲の低下・・☆ ホームヘルパー達の市民集会 「生活意欲が低下しないように、援助していきたい」−厚別区内で働くホームヘルパーの集会が9月11日に開催された。この集会の意義をたすけあいワーカーズのほろ代表井端幸子さんにまとめていただいた。 この市民集会は、厚別区内にある17の訪問介護事業所が連携とり行なわれた。 まづ介護保険改定に伴って軽介護者への家事援助は原則行なわないという制度に対してアンケート結果を踏まえながら、見解が発表された。 それは家事援助が制限されることによって生活意欲が後退し、精神的に落ち込み、在宅生活そのものに支障が生じる。家事代行を含む生活援助は軽介護者の健康全般を把握するのに有益な手段であるなどとして、改定に伴う家事援助の撤廃には、多くの参加者が疑問を投げかけていた。 また長年、介護現場の実践を積み重ねてきた大妻女子大学の是枝祥子教授から、我が家で自分らしく暮らすためには、ホームヘルパーの援助は必要との講演がなされた。 その中で、今回の介護保険の改定に対して「国はヘルパーの仕事を真に理解せず介護サービスの表面的な見方だけで対処している」と批判。 また生活するということは家事が土台となって成り立つのであり、ヘルパーがその支援を行なうことによって利用者は本来の生活を取り戻し自分らしい生き方を実感できるのだ、と。 ただヘルパーである介護従事者の落ち度として、介護を理論化してこなかった点を挙げていた。第三者に介護提供のプロセスを伝えるためにも介護記録の重要性を認識し、観察力、表現力を充分身につける必要がある。その自分が行なった介護記録を残すことによって、地域に介護の種をまくことになるのだ、とも。 集いの最後は、事業所の管理者やヘルパー、介護者の家族などが壇上に立ちシンポジューム形式で意見討論がなされた。介護制度のあり方、ヘルパーの待遇問題など、幅広い観点から討論がなされ、参加者の中から「ヘルパーの仕事に行き詰まりを感じていたが、今日の集いに参加して、もう一度頑張ってみようと思った」という声も上がっていた。 ★・・・幌尻岳七つ沼カール清掃・・・★ あのね友の会会員も参加 あのね友の会々員が9月23,24日の両日、日高の美しい自然を守る各種グループと共同で、日高山脈の最高峰・幌尻岳(2052m)周辺の清掃活動を行なうと共に山小屋である幌尻山荘の汚物の回収も行なっていました。 日本百名山の一つである幌尻岳、本州からのツアー客もひっきりなしに訪れ、それだけにオーバーユースからくる環境破壊が問題視されている山域でもある。 こうした中、日高山脈の美しい山を楽しく安全に登ろう、を目的に結成された日高山脈ファンクラブが音頭とり、それに協賛した北海道山メーリングリストやマスメデアのメンバーも加わり、命の泉周辺から始まり、幌尻岳北カール、そして七つ沼の大々的な清掃活動が実施された。 この清掃活動に中心的な役割を果たしたのが厚別北3条5丁目に住み、あのね友の会メンバーである岩村和彦さん(50才=写真上)だ。 岩村さんは、地元の平取町や日高町の関係者、さらに近郊の山岳会のメンバー達とも連絡をとりながら、今回の清掃活動の取りまとめ役を買って出ていた。 初日は小雨の中、糠平川の渡渉を繰り返しながら幌尻山荘まで清掃のための用具を持ち挙げ、その日は命の泉周辺のごみ拾いと、山荘泊り客の排出物を一斗缶に詰め込む作業を実施。 翌日は糠平川本流を沢づめして北カールに上がるグループと六の沢から戸蔦別岳グループの2班に分かれ、七つ沼カールで合流。そこで砂地にうずもれたテントの廃棄物や食器類等の大型ゴミやビニール、ティシュ類の各種ゴミの回収を行った。 そして帰路に立ち寄った山荘からは汚物の入った15キロ程の一斗缶をきわどいバランスをとりながら背負い、前日の雨でいくらか増水した糠平川の渡渉をくり返しながら下山していた。 ★・・・ 『小学校の思い出』 A ・・★ 厚別北1−2 佐竹美智子 昭和25年に夕張若葉小学校(現・若葉中央小学校)に入学しましたが、6年生の時が最も記憶に残る充実した小学校生活でした。 それは札幌から来た新米先生が担任になったからなのです。 初めて教室に入ってくるやいなや黒板に「人生とは何ぞや」と書くのです。 まだ11歳の田舎の子には、あまりにも強烈な印象でした。 授業にも燃えていました。落ちこぼれがでないようにと、特に算数は何度も何度も繰り返し繰り返し教えてくれました。 身体はか細いけど、とにかくエネルギッシュに私たちと一緒に遊んでもくれました。時には山に、時には川に、そして冬にはスキーにも、、。 でもこの間、二度も事故を起こし、校長や教育委員会との闘いでもあったと、40年後の再開の時に知りました。 夕張での教師生活は私達6年生の一年間だけでしたが、その時教えた生徒の一人、私と仲良しだった友と結ばれたのです。その友は十数年間も「先生が大好きです」と手紙を書き続けそれが実ったのだ。50年も昔の話しだけど、忘れられない。 前号 次号 |
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